Kindleで 島崎藤村『夜明け前 』⑥ (青空文庫)

夜明け前 全巻合本版
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 中津川や伊那谷の同門の中には京都上って勤王活動をする者、東征軍が東山道を進軍した際には武器を取って従う者、道案内する者があります。半蔵は馬籠宿の駅長として東征軍を迎えただけで、彼ら同門に対して負目を感じています。維新の後、神仏分離令によって「宗門人別帳」離脱の運動が起こり、神葬が自由になった際も菩提寺から先祖の位牌を持ち帰っただけです。半蔵は平田国学の徒として遅れを取り戻そうと上京したわけです。教部省お雇いとなりますが、お役所仕事に満足できず辞職します。

 そんな折り飛騨山中にある水無神社(wiki)の宮司にならないかという話が持ち上がります。在野にあって国学の復古精神を布教できると心は動きますが、辺鄙な神社の宮司になれば、世の中から置いていかれるのではないかという悩みもあります。不思議なことは、あの篤実な半蔵が馬籠の家族を考慮しないことです。馬籠には老いた母と妻と4人の子供があり、自殺未遂を起こした娘までいるにも拘わらずです(これについて藤村は殆ど触れていません)。

 半蔵の悩みは家族ではなく国の行く末です。横浜開港当時、日本の金が流出し代わりに粗悪な洋銀が流入した通貨不安を思い出し、急激な西洋文明の襲来によって日本古来の伝統と文化が衰退するのではないかと。この思いを歌に託し扇子に記し、天皇の行列に扇子を投げ入れるという「献扇事件」を起こします。

彼は御通輦(天皇の行幸)を待ち受けた。・・・やむにやまれない熱い情が一時に胸にさし迫った。彼は近づいて来る第一の御馬車を御先乗と心得、前後を顧みるいとまもなく群集の中から進み出て、そのお馬車の中に扇子を投進した。

 不敬罪で逮捕されて裁判所に送られ5日後に釈放されます。年が明け明治8年に判決が出ます。「懲役五十日のところ、罰金三円七十五銭」、長年の馬籠宿駅長としての勤めにより情状酌量となります。

 半蔵は水無神社の宮司になるため一旦馬籠に帰ります。旧知の平兵衛が旅費と馬籠の便りを持って半蔵を迎えに来ます。献扇事件は馬籠にも伝わっており、半兵衛は言います、

半蔵さまが気が違ったという評判よなし。(半蔵の妻)お民さまなぞはそれを聞いた時は泣き出さっせる。皆のものが言うには、本陣の旦那はあんまり学問に凝らっせるで、まんざら世間の評判もうそではなからず、なんて──村じゃ、そのうわささ。

 国学に入れ込んだため気が触れたというのですが、当たっていなくもない。半蔵の滞在はわずか3日、家族を置いてにはまた馬籠を立って飛騨へ向かう慌ただしさ。半蔵は、継母の助言もあって家督を長男宗太に譲り、水無神社宮司として赴任します。

 『夜明け前』は藤村の父・島崎正樹(wiki)をモデルとした小説です。藤村は四男・和助として登場します。

伏見屋の前あたりまで帰って行くと、自分を呼ぶその教え子らの声を聞いた。
「お父さん。」
 と呼びながら、氷すべりの仲間から離れて半蔵の方へ走って来るのは、腕白ざかりな年ごろになった三男の森夫であった。そこには四男の和助までが、近所の年長の子供らの仲間にはいりながら、ほっペたを紅くし、軽袗の裾のぬれるのも忘れて、雪の中を歩き回るほど大きくなっていた。

 執筆当時59歳の藤村は、44歳の父・正樹(半蔵)のこの行動をどう見ていたのか?。ほっペたを紅くした4歳の和助(藤村自身)を描きながら何を思っていたのか?。

ここまでの夜明け前      

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