Kindleで 島崎藤村『夜明け前 』⑦ (青空文庫)

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 半蔵は飛騨・水無神社の宮司を4年勤めて馬籠に帰ります。明治7年の上京から数えて6年ぶりの帰郷です。半蔵を迎えるのは、継母おまん、妻お民と4人の息子をはじめ、旧本陣時代からの番頭・清助、従兄の栄吉などです。半蔵の「国学」を支えたのはこうした人々だったわけです。

 半蔵は、国学者として新政府の日本古来の精神に帰ろうという「復古」を広め教化しようと宮司になります。新政府の教部省にその努力が無い以上、身をもって「復古」の伝道者になろうと水無神社の宮司となりますが、挫折します。土地に根付いた仏教の伝統に破れたのです。

帝の誓われた五つのお言葉と、官武一途はもとより庶民に至るまでおのおのその志を遂げよと宣せられたその庶民との間には、いつのまにか天の磐戸にたとえたいものができた。
・・・復古の道は絶えて、平田一門はすでに破滅した。

明治10年に教部省は廃止され、政教分離・信教の自由となり、新政府の背信によって多くの神官と共に半蔵も辞職します。国家に裏切られたのは半蔵に留まりません。佐賀の乱(江藤新平)、萩の乱(前原一誠)、そして西南戦争(西郷隆盛)と士族の反乱が続きます。

これまで国家のために功労も少なくなかった主要な人物の多くでさえ西南戦争を一期とする長い大争いの舞台の上で、あるいは傷つき、あるいは病み、あるいは自刃し、あるいは無慙な非命の最期を遂げた。

 天皇の東山道巡幸があり、木曾路の御通過の際に馬籠駅で昼食となります。行在所となるべき家は旧本陣青山方と指定されます。巡幸に先立って、臣民はだれでも詩歌の類を献上することが許され、半蔵も一編の長歌を献じます。半蔵には「献扇事件」の前科があり、山林事件の嘆願を控えていることから周囲に緊張が走りますが、この時は無事に過ぎます。

狂 死
 明治14年、半蔵も51歳となり、この頃から家産が傾き始めます。16代続いた旧家も明治維新によって人者の流れが変わり、本陣、庄屋、問屋の制度が廃止となり収入の道が閉ざされます。おまけに、半蔵は山林事件で戸長を馘になり、教部省を辞職し、宮司も辞めますから、6年以上国学に奔走するだけで働いていません。
青山の借財は三千六百円にのぼり、弁済のために本陣を貸し不動産を処分することになります。

馬籠旧本陣をこんな状態に導いたものは年来国事その他公共の事業にのみ奔走して家を顧みない半蔵であるとの非難さえ、家の内にも外にも起こって来た。

長男・宗太と半蔵の間で誓約書が交わされます。半蔵は隠宅で暮らし、宗太の采配に口出ししなことが記され、「小遣い月1円」「飲酒は五勺」とあるのは哀れを誘います。

 やがて半蔵に狂気が訪れます。幻聴、幻視が現れ被害妄想に襲われるようになり、奇矯な行動に出ます。

半蔵は以前の敬義学校へ児童を教えに通った時と同じような袴を着け、村夫子らしい草履ばきで、それに青い蕗の葉を頭にかぶっている
「お師匠さま、どちらへ。」
「おれはこれから行って寺を焼き捨てる。あんな寺なぞは無用の物だ。」

寺とは、半蔵の先祖が村民のために建立した万福寺です。半蔵は言葉通り火を付けますが消し止められ大事には至りません。何をするか分からない、と家族と馬籠の住民は座敷牢を作り半蔵を閉じ込めます。暴れるだろうというので半蔵を縛ります。人望もあり馬籠の指導者でもあった半蔵は、彼を敬う人たちよって縛られて座敷牢に押し込められます。この長編で感動的な情景です。未だと言うか既にと言うか56歳の半蔵は何故狂ったのか?。

 見舞いに来た国学同門の景蔵は言います。景蔵は何度も登場しています。中津川の本陣で、人馬郵伝を掌握し、東山道中十七駅の元締だった人物です。維新では同郷の香蔵と共に京都で国事に奔走し、多くの政変に出会い、桂小五郎などを匿い中津川会議(wiki間秀矩の項)を自宅に開かせたと言います。維新後は故郷に逼塞し、新政府の召喚にも応じず、当時を語ることはなかったと描きます(モデルは市岡殷政、本書では香蔵)。

彼に言わせると、古代復帰の夢想を抱いて明治維新の成就を期した国学者仲間の動き──平田鉄胤翁をはじめ、篤胤没後の門人と言わるる多くの同門の人たちがなしたこと考えたことも、結局大きな失敗に終わったのであった。半蔵のような純情の人が狂いもするはずではなかろうかと。

半蔵は、間秀矩や市岡殷政のように京都で国事に奔走したわけではありませんが、革命を夢見て革命に裏切られた末の発狂です。

さあ、攻めるなら攻めて来い。矢でも鉄砲でも持って来い。
 …もはや半蔵は敵と敵でないものとの区別をすら見定めかぬるかのよう。そして、この世の戦いに力は尽き矢は折れてもなおも屈せずに最後の抵抗を試みようとするかのように、自分で自分の屎をつかんでいて、それを格子の内から投げてよこした。

感 想
 明治維新は、雄藩が海外の脅威に対処出来ない幕府を倒すことで成就します。それを支えたのが政治経済の成熟と教育の普及、富裕な商人層の台頭です。そうした富裕層や地方の読書階級が支えた「国学」は、尊皇攘夷思想に影響を与え、維新の原動力になったといいます。

 明治維新は高杉晋作や西郷隆盛だけではありません。『夜明け前』は、もう一人の「主役」木曽の宿駅馬籠本陣の青山半蔵を主人公にした明治維新です。
 革命を夢見て革命に裏切られた末の反乱、西南戦争、秋月の乱など不平氏族の乱があります。糞尿を投げつけた「敵」とは、不平氏族の乱同様、革命を成し遂げたのち裏切った新政府だったわけです。
 廃藩置県と廃仏毀釈はセットで描かれます。前者は旧武士階級、幕府の否定で、後者は幕府に保護され権力の住民統制機関でもあった寺院、仏教の否定です。国学者である半蔵にとって、放火による寺院の抹消は、新政府が徹底しなかった究極の廃仏毀釈だったわけです。

  1ヶ月にわたって読みダラダラと書いてきました。英雄の活躍する明治維新も面白いですが、『夜明け前』の明治維新も面白かったです。この項お終い。
ここまでの夜明け前      

この記事へのコメント

2024年11月15日 11:58
既存の権威であった幕府と仏教を否定し革命の原動力と思えた国学が失墜、半蔵は志を失ったのですね。明治維新は権力の交代だけでなく経済の急速な成長に舵を切ったようにも思えます。いずれにしても時代の変革期には状況を静観する姿勢が大事なのでしょう。
2024年11月19日 14:43
コメントありがとうございます。江戸期は、幕藩体制で武士階級を統制し、仏教(宗門人別帳=戸籍)によて庶民を統制したわけです。新政府は、廃藩置県で前者を壊し廃仏毀釈で後者を壊そうとします。廃仏毀釈の方は上手くいかず、国学というイデオロギーを信じたことが躓きの元です。イデオロギーは怖いですw。
2024年11月20日 11:23
明治以降は国内変革プラス外国との交渉もあり時代背景が複雑になってきますね。長編の読解と記事の作成及びコメントありがとうございました。ちゃっかり代わりに読んで解説していただき心苦しい限りです^^;大変勉強になりました!
2024年11月23日 16:23
明治維新に興味があれば読んで損はないですが、昭和4〜5年の小説ですから、お世辞にも面白いとは言えません。個人的には、廃仏毀釈の奥行きが分かった気になっています。小説に登場する落合の出身者に聞いたところ、葬儀は神葬だそうです。