つらつら 落語
天狗さばき
本題と共に「まくら」も落語を聴く楽しみのひとつです。米朝の『天狗さばき』のまくらにナスビが登場します。『天狗さばき』は夢を題材とした噺ですから、縁起がよいとされる初夢の「一富士ニ鷹三茄子」の茄子です。米朝さんはまくら江戸時代の小噺を紹介します。
とてつも無く大きな茄子の夢を見た噺です。どれほど大きかったかと言うと
暗闇にヘタを付けた
様な茄子だと云うのです。大きさを表現するに、これほどの小噺(ショートショート)は古今東西無いのでは無いか、と米朝さんは言うのです。これをまくらにする米朝さんは凄い!。
「天狗さばき」は、見てもいない夢を白状させられる男の噺で、詰問者がおかみさん→隣の男→家主→奉行→鞍馬の天狗と社会的地位?が次々に上がってゆく辺りが聴きどころろ。最後に、噺全体が夢であったと云うオチとなります。在りもしない事がさも在ったかの様に、しかも大仰なこととして取り扱う「世間」を辛辣に皮肉るところ、その皮肉もまた夢として無かったことにしてしまうストーリー運びは秀逸です。落語ですから作者がいたはずです。「天狗さばき」の作者は人間観察の天才かも知れません。
寝床
これも有名な噺で上方落語、江戸落語、両方の演目となっています。大店の主人が自慢の義太夫を使用人や店子に聴かせようとし、聴かされる方は逃げ回る噺です。丁度、ジャイアンとのび太(ドラえもん)の関係ですw。
この噺の面白さは、店子と店の使用人が浄瑠璃から逃げるくだりです。店子の提灯屋と豆腐屋は徹夜の仕事が入ったと逃げ、使用人は仮病を使って逃げます。欠席が一人増える毎に主人が落胆する(発声練習のトーンが低下する)描写は見事です。自分の浄瑠璃が嫌われ誰も来ないと知った主人は、使用人は馘だ!、店子は今すぐ立ち退け!と怒り狂い、今後浄瑠璃を止めると公言します。
馘や立ち退きになっては大変と、続々浄瑠璃を聴きにやって来ます。主人は機嫌よく浄瑠璃を唸り、満足して御簾を上げてみると全員が振る舞い酒で寝てしまい、小僧一人が泣いている…。私の浄瑠璃の何処が悲しかったのかと聞く主人に、小僧は自分の「寝床」が無いと答えます。
権力と権威をカサにきて、無理難題を持ち出す者、それに泣き寝入りする者、いつの時代にもある関係性を笑いに変える戯作者の観察眼や恐るべし…。
圓朝や圓生と言った噺家の後ろには、噺を作る戯作者がいたわけです。継承は、師匠か弟子への口伝ですから、戯作者の脚本を演者が少しずつ脚色し現在に至ったのです。脚本も作者の名も伝わっていませんが、山東京伝や十返舎一九のごとき戯作者がいたのでしょう。
【余談】
NHKラジオでは「真打ち共演」「蔵出し名人会」があります。聴き逃しで録音 →切り出ししてスマホ(クラウド)に入れて、朗読、音楽と共に睡眠導入剤代わりにしています。ラジオは20分程度で噺が短縮されていることがあります。
古典落語は「話芸」ですから、繰り返し聴いても面白いです。
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